伊藤大輔監督と伊丹監督をたずねて

ふと出かけたくなり、前から行きたかった松山の伊丹十三記念館に行くことを思いつく。行き先を父に伝えると、松山からは遠いけれど宇和島伊藤大輔監督生誕の地の碑があり、自分も大学の映画部の人と一緒にその建立に少しだけかかわったとのことだったので、その碑の写真だけでも撮れたら撮りにいこうということでまず宇和島を目指す。

駅前で鯛めしをいただいて、ネットで調べた石碑の場所もだいたい把握し、石碑に行く前に少しだけ駅前の商店街を散歩しようということであるいているとアーケードの真ん中に

伊藤大輔監督の名前を記した看板が。石碑の場所がもっとしっかりわかるかも・・と中に。

メガネ屋さんの二階をあがっていくとギャラリーになっていて、ちょっと父の話をしたら、宇和島での石碑建立の中心で、父の友人とも一緒に伊藤大輔監督の追悼会などで集まっておられるその人がここの店主でいらしたのでした。

田部さんは宇和島で、伊藤大輔監督のまぼろしの作品の上映会を弁士さん付きで開かれたり、宇和島案内の冊子を作られたりする文化人で(こちらに冊子の紹介あり。めがね屋さんということで双眼鏡とのからみからバードウォッチングなども主宰されているそう。)映画界のこともお詳しく大変刺激になりましたし、それが本当に愛情に裏打ちされたものだったのでとても親しみを感じ長い時間を過ごしてしまった。(そして、肝心の石碑は・・路地が入り組んでいる場所にあり、車でいったもののうまくたどりつけなく、雨も降って夕方だったのであきらめたのだった。)

翌日は松山の伊丹十三記念館へ。

伊丹さんらしいスタイリッシュでおどけたり飄々としたりしたところもあったり、工夫があったり・・のすてきな記念館。
ちょうどお父さん伊丹万作さんの特別展も行われていて、万作さんが戦時中にこどもたちがあどけない絵だけど国策的なかるたで遊ぶのがしのびないということで手づから作られた俳句のかるたなども展示され、それは作品としても丁寧ですばらしいものだったけれど、そこから伝わる愛情にうたれた。
また監督したかったけれど病気のため監督できなく脚本のみの担当になった亡くなる前の作品「無法松の一生」について、それまで偉大すぎて父にコンプレックスも感じていた伊丹さんが、「無法松〜」は、こどもをおいて亡くなっていく万作さんが十三さんに「強くなれよ、無法松のような人を模範にして」というメッセージを遺してくれたものだとある日気がついた逸話が紹介され、映画をみたとき何も考えずに大好きだったけれど、なお一層気持ちが高まったのだった。

伊藤大輔監督や伊丹万作監督の映画をみていたからこの四国での邂逅がとても自分の中では大きなものだったけれど、もっとそれらの先人の作品が今の多くの人にふれられるものになったらいいなあと切に思った。

中庭にはタンポポ。なぜか幸せな気持ちを感じる記念館。

そして、帰路、

鞆の浦に寄る。


観光の人もたくさんくる絵になる場所なんだけど、住んでいる人の日常と観光できているものがちゃんと溶け込むよい街だった。