昔のミセス

60年代〜80年代の雑誌「ミセス」を再読しながら、とりあげた記事にまつわることを書かれたものだけど、ちょうどここ何年か私が興味を持ってみてきた小津安二郎川島雄三の映画からの話、先日から読んでいる高峰秀子の書きもの、および演技、単行本になってから読んで写真も文章も楽しめた森茉莉の「私の美男子論」が連載されていた当時の話、澁澤龍彦のことなどなど鋭い洞察力で語られていておもしろい読み物だった。

瞠目した表現

庶民的ながさつさを繊細に演じた杉村春子(p27 がさつさを繊細に、の箇所に傍点)

小津安二郎監督の「彼岸花」の話のところで

山本富士子のどことなく感じられるおっとりした鈍さ(p78 鈍さ、に傍点)

また、森茉莉の文章からの引用なんだけど、森茉莉が写真嫌いの理由として

ほとんどの写真が「私の顔の中には全くないニュアンス、つまり女学校の寄宿舎の舎監のような、道徳的な(恋愛をしてはなりません)と、若い女の人に訓戒をしそうな顔」が不思議なことに現れるからで、「私という人間の中には道徳はあるが、こちこにの女教師のような道徳のお化けは一匹もいない」

ということが書かれている一節(P127)、私も自分がくそまじめにみえてしまっているのでは?全然歓迎してないのに…と日々鬱屈を抱えているもので、森茉莉やその言葉を引用している金井美恵子がまたまた好きになった。

昔のミセス

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