鳥人

先日から大注目の丸根賛太郎監督作品。

またまた愛すべき作品であった。

大空を鳥のように飛びたいと研究に研究を重ね、狂人呼ばわりされ実在の人物、鳥人 浮田幸吉をアラカンさんが演じている。丸根監督ははじめはあいつなんだ?ってところからはじまる男の友情の描き方もとても良いが、この映画でも、入水自殺を企て一命をとりとめた浪人重兵衛がとても魅力的。大邦一公という俳優さんらしい。

水木しげる氏も「幸吉空を飛ぶ」という作品を残しておられるらしい。(「東西奇ッ怪紳士録」という本におさめられているよう。)

鳥人 [VHS]

鳥人 [VHS]

 

 

 

東西奇ッ怪紳士録 (小学館文庫)

東西奇ッ怪紳士録 (小学館文庫)

 

 

エンタツ・アチャコの新婚お化け屋敷

宮沢章夫さんのカルチャー論を録画していたものをみていたら、「書を捨てよ、町に出よう」から糸井重里の「本読む馬鹿が、私は好きよ」へ移行する、肉体中心から頭脳への時代の流れという中で、チャップリンなどが源流のからだの動きによる笑いとは違うタモリいとうせいこうのコンセプチュアルな笑いという話があったのだけど、この映画はまさに体を使った笑いの最たるもの。エンタツの体の動きの軽妙さに終始なごまされる。
エンタツの女房役を演じたのは霧立のぼるさん。名前だけはきいていたけれど可憐なひと。
高勢実乗氏、泥棒役で登場。よい味だ。楽しめた。いつもよく拝見している立派なひげはなかった感じ。

殴られたお殿様

Movie Walker

丸根賛太郎監督ほんとにいい!好きだ。
食い詰めた旅役者の二人が、給料代わりに渡された金持ちの爺様風の衣装(水戸黄門風)を着用して宿屋に泊まっては夜中に逃げ出すという旅を続けていたが、ある城下で夕立金左衛門という男と出会う。ひょんなことからこの三人がお忍びの巡察視と間違えられ・・・というストーリーだが、飄々とした味わいのある笑いあり*1、かといって甘すぎる展開でもなく、監督デビュー作「春秋一刀流*2もそうであったと、もっともっと監督の作品をみたくなった。
市川右太衛門が演じる夕立金左衛門という男が、城内の悪事をみて義憤にかられ、勘違いされているのを利用してそれを糾していくくだり、これは、名前からしても遠山の金さんということ?と期待させておきながら、最終的に遠山の金さんのように権力を使って糺すのではなく、という展開もえらく気に入った。そのあとのシークエンスも楽しめたし、現代でも通用するおもしろさだと思う。
だいたいこの城の腐敗というのが、農民のただ働きだとか、悪事を訴えてもしらばっくれるだとかちょっと今に通じるところもあって・・流れとしてはビデオの山根貞男さんの解説によるとちょうどこの映画の封切の1946年頃、農地改革が始まっていてそういう時代の空気も反映させているらしい。下のものが責任を上にさっさと回す感じも好ましかった。

山根さんはニセ巡察視の話を中心としたドラマ展開はゴーゴリの「検察官」にヒントを得たものであろうと書かれている。「春秋一刀流」もフランス映画「我等の仲間」からと書かれつつ、一見そうと思えないところに、つくり手の才能が光っていると書かれている。*3

丸根監督のものをもっとみたくて調べていたら、以前よく拝見していたサダナリデラックスというHPの定成寛さんの書かれた丸根監督に関するブログ記事が出てきて嬉しくなった。定成さんも丸根監督大好きだとのこと。天の巻はこちら。地の巻はこちら

*1:今だとひょっとすると問題になるのかなという吃音がらみのギャグもあるけれどこれもそんなにいやな感じがしなくて。

*2:http://d.hatena.ne.jp/ponyman/20160226/1456443095

*3:後述する定成さんによると、丸根監督の作品は「髷を結った欧風喜劇」とのこと

小判鮫

映画com

wikipediaの衣笠監督のところにはこの作品についてこのように載っているが、*1

1946年(昭和21年)、明治開化期の鉄道建設を巡る利権争いを、東宝オールスターで描いた喜劇映画『或る夜の殿様』が戦後第1作となり、翌1947年(昭和22年)に島村抱月松井須磨子の恋愛事件を描いた『女優』、オムニバス映画の『四つの恋の物語』第4話を監督後、東宝を退社してフリーとなる。同年、長谷川と山田五十鈴が設立した新演伎座の顧問となり、同座製作で『小判鮫』を製作するも、東宝争議もからんで不評となり

自分にはなかなかよく出来た作品に思われた。
長谷川一夫が、歌舞伎役者 中村紅雀と離れ島の役人の息子百太郎の二役をこなす。そして、紅雀の方が、演じる舞台がいくつもあり楽しめる。(多分、揚巻、児雷也(衣装がそれ風)、娘道成寺、あと三人で刀のうちあわせをしているようなのは何だろうか。。)中村紅雀は上方芝居とあるけれど、中村座と称していて、紋の図柄も銀杏。自分には今の中村座と関連があるようにみえた。
山田五十鈴が軽業師。身のこなし、ちょっとすれた感じなどなかなか良かった。

*1:原典 衣笠貞之助 『わが映画の青春 日本映画史の一側面』 、中央公論社中公新書〉、1977年。とのこと

博多どんたく

博多八丁兵衛という九州博多の奇人を阪東妻三郎が演じている。昭和23年丸根賛太郎監督作品。
総じて笑いのテンポなどは今と少し違っていたけれど、それがのんびりした空気を出してはいる。
八丁兵衛については八丁兵衛の営んでいた西濱屋のサイトに詳しく載っている。(こちら
この映画の中では、ヨーロッパの専制君主ものので権力者をその目の前で風刺して権力者の広さを試す命がけの道化のような振る舞いをしていた。

福岡が武士の街、博多は町人の街で那珂川によって二分されているということは「ブラタモリ」できいたことがあり、タモリはお堅い福岡側の人間であることをどこか恥じながら語っているニュアンスがあったけれど、この映画での分断ぶりをみて、なるほど、タモリは福岡から出てきたということが芸風の持ち味でもあるなあと思った。

那珂川にかかる橋は一本、町人が福岡にこの橋を渡って入れるのは唯一どんたくの日のみだということで、この映画のクライマックスが博多どんたくに据えられる。ここは大勢の人を使ったダイナミックで迫力のある表現。
浦辺粂子さんが、武家に預けられている薄幸の娘の味方をする役回りで、役柄の演じ方はとてもいいのだけど、博多の言葉が少し違っているように感じた。

江戸の春 遠山桜

若き日の遠山の金さんを描いたもの。
以下、ビデオに同梱の山根貞男さんの文章を読んでのまとめ。
北川冬彦という詩人で映画評論家が、「キネマ旬報」でこの映画のことを「『百萬両の壺』*1その他で、この作の面白いところは用いつくされている」と断じ「(監督の)荒井良平は、山中貞雄の後を追おうと始めた。これは、どんなものか」と疑問を呈しているそうだ。
山根貞男さんによると、確かに「百萬両」の方とこの映画は共通点が多いらしい。遠山の金さんと丹下左膳の違いはあれど、時代劇なのに現代感覚で作られているところ。また細かい点をいえば、ということで高勢実と鳥羽陽之助が茂十・当八コンビで両方に出てきていること。(この映画では、おでんやとそばやの役。)そして、北川氏の批判のその部分をこそ、当時の観客は喜んだにちがいないと山根さんは推測しておられる。
高勢さんの場面、本当のんびりしたおかしさがあってみていてくつろげる。あとは、実家の親に心配されているような金さんの若さが新鮮。演じる尾上菊太郎という方、いなせでかっこいい。
脚本は梶原金八という、ヒット作を数々出している八人からなる共作チームで、その八人の中にひとりは「百萬両の壺」の監督、山中貞雄なのだが、甥の加藤泰の書いた「映画監督山中貞雄」によると、この作品には山中貞雄は参加していないらしい。

日活HP

人生は六十一から

1941年斎藤寅次郎監督作品
ビデオ同梱の山根貞男さんの解説によると、当時の映画評はあまり評判がよくないらしい。山根さんもテンポはそんなによくないし、ギャグも弱いとしながらも、「が、妙なおかしさがある。話がどんどんズレていく迫力というか、画面展開のデタラメかつ柔軟な勢いというか、それが独特の笑いを煽り立てるのである。明らかにエンタツアチャコの漫才の魅力はそうしたズレにこそある。」と書かれているが、とにかく私にはなかなかほほえましく楽しい映画であった。
エンタツ演じる主人公は固形ガソリンの発明に血道をあげたあげく失敗、成功して家族にお金を渡せるようになるまでは帰ってこないと家族を置いて断りもなしにそのまま出奔するような、現代の日本では愛すべき主人公には据えられにくい、いうならばチャウ・シンチ―の映画かと思うような身勝手スタート。でも息子のことは心配しているようなところはあり、エンタツさんの愛すべき雰囲気もあいまって、しょうがないなあというようなストーリー運びになっている。

映画の惹句には「……今や世を挙げての科学振興時代!」とあり、“科学”ということが国家的規模で強調されていた。文部大臣が“科学する心”を唱道したのは一年前の一九四〇年のこと

と山根さんの解説にあるのだが、“科学する心”という言葉、大正12年生まれの伯母がふざけてよく使っていた。これが語源だったのか・・

一度気になったらもう映画に出てこられるたび気になってしまう高勢実乗氏、この映画でも活躍。「アノネオッサン」も「カナワンヨ」も出てきた。御前様のモーニングだかを洗濯屋にもってくる羽織袴の執事のような役だがこの人が出てくるとあやしくておかしくて・・今や自分は高勢さんを映画で追っかけている。