ここに泉あり、どっこい生きてる

今井正監督の作品を二つ。

 

一作目 「ここに泉あり」(1955)

終戦直後にできた高崎の市民による交響楽団(現・群馬交響楽団)がモデルの作品。

真摯なところと笑えるところのバランスが絶妙で作品に没入できる。小林桂樹演じるマネージャーのキャラクターが割合目的のためなら平気であとから辻褄あわせみたいな部分がありいかにも終戦直後を乗り切っている感があり面白い。乗り切れている・・とはいいがたい家庭でのシリアス局面も描かれるが、相手が千石規子で大変な事態なんだけどコミカルな空気も流れる。

三井弘次、加東大介の二人がきまじめになりがちのストーリーを楽しく彩る。あの二人の功績大だ。東野英治郎も背負い投げみたいなものをみせ驚くが稲垣浩監督の「佐々木小次郎」(1950)*1などでも小次郎のコミカルな敵役を体を張って演じておられたり仕事の幅広いな・・

そして何より特筆すべきは山田耕筰の指揮シーン。音楽の力の凄さも迫ってきてなかなかの良作。

 

もう一本は「どっこい生きてる」(1951)

こちらは「自転車泥棒*2みたいなネオリアリズ厶の影響を受けているとのことだがほんとに甘くない。途中飯田蝶子木村功が出てきたときにはバックのカッコウワルツとともに良い空気が流れもしたのだが、そこからもみている側はひやひやしっぱなし。二作品を観比べると、55年の「ここに泉あり」の方が観客を楽しませる余裕があるように感じた。

島義勇のカメラは歩いている労働者を蟻の群れのようにみせたり、不安な角度でズームしてみたり多弁。主人公河原崎長十郎は今まで時代物を中心にみてきたが現代劇だとご子息河原崎長一郎氏と見紛った。中村翫右衛門の粗削りなシーンは楽しいし、二人の対比の活かされようは「戦国群盗伝」*3(1937 滝沢英輔)でも感じたな。

仕事を求めて千住大橋から山谷に向かう人々、食い詰めて東北の実家に妻子が身を寄せることになるのを見送る時の上野のガード下の飲食店など当時の東京の風景はとても貴重。*4

女の一生

南座にて大竹しのぶ主演段田安則演出の「女の一生」を。自分の祖父がこの作品の原作者森本薫氏やずっと主演女優だった杉村春子氏と仕事上で少しつながりがあり、一度はきちんと観ておきたく鑑賞。観客はシニア層が8割以上という感じで自分もそうなのにちょっと怖気づくが行って良かった。芸達者揃いによるくっきりした芝居、観客にしっかり伝わり、観客が感動を伝えようと終演時懸命に手を振る感じ、コロナで延期になったということも手伝い、まさに舞台とは一期一会、演じ手も受け手も全く同じメンバーでここに会するとういことは二度とない得難いものだという感激が胸に迫った。大竹しのぶ演じる布引けいはがむしゃらで日本の発展に一役買ってきたおやじみたいな人物で彼女が女性であるゆえに苦労する部分もあり、その視点も感心したが、もっと広げてがむしゃら人間がなにかを引き換えにしてきたことの悲哀みたいなものも感じた。全編きちんと観たのははじめてだけど当たり役であった杉村春子の声でセリフがきこえるようなことがたびたび。スチールでみたことのある襷をけいと気の合っていた次男が引っ張り合うシーンも写真で見た杉村春子北村和夫の姿が重なりそこにはちらちらと北村和夫氏のご子息北村有起哉氏の現在の活躍なども明滅し、伝統芸能を観ている時のような気持ちにも。また80年代に紀伊国屋ホールで「蒲田行進曲」の勝手で魅力的なスター銀四郎姿を観て以来ずっと注目し続け、遡ってロマンポルノ作品まで追っかけている風間杜夫の堂々たる姿にも喜びを。しかし一番強く思いを馳せたのはこれを三十代で書き上げ夭折した森本薫氏のこと。石田民三の映画「花ちりぬ」*1でも森本氏への関心が高まっていたが、さらに本日この舞台を観て、祖母が口ずさんでいたいた「アニー・ローリー」はこの舞台からであったかーそしてこの曲はこの作品と色々な意味で深く関わっているのだと感得し、私の中ではまさにハロウィン的にあの世とこの世が南座で気持ちよく交錯したのだった。

 

※2023年1月追記

家の整理をしていたら杉村さんの色紙。赤い櫛は、「女の一生」の物語のキーになるものだものな。秋に観ていたのでその意味を味わえて嬉しい。

GONIN、GONIN サーガ

 

 

「GONIN」(1995)と「GONIN サーガ」(2015)を一気見。両方血みどろかつ暴力シーンがキモにもなっている作品なんだけど、溢れる気迫、登場人物の思いが凄くて胸に迫る。2015年版は95年版の物語の続編、95年版の登場人物の子どもたちの物語。95年版では点描になっていた事件に巻き込まれ殉職した警官のストーリーが2015年版ではしっかり拾い上げられ、その息子役柄本佑の職業人的で地味なかっこよさ!また95年版の主要人物氷頭を芸能界引退していたにもかかわらずこの作品のみの条件で出演した根津甚八が今回も演じていてこれがまたすごくいい!医療的にはさじを投げられている者の気迫。リアリティのないかっこよさでなく、様々な臭い漂うクライマックス。同じ石井隆監督の「死んでもいい」*1でもだったが、歌舞伎など古典に息づくスピリットを違う様式で表現しているように感じる。

95年版はバブル崩壊後の空気が画面から匂い立っていて、デストピア的な展開なんだけど浪花節的情念の果てにみえるロマンに心が動かされる。ここも古典精神。

95年版で窮鼠猫を噛む動きをする竹中直人だが、2015年版に鼻に吸入つけながら登場。竹中は、前作とは別人ではあるけれど小さな共通点も持たせてなにか生まれ変わり譚的なものも想像させる人物。あの世とこの世のつながりを全編とても感じさせるストーリーになっていて様々な仕込みがある。

ただ竹中直人が演じたのはヤクザの上層部が派遣したヒットマンなんだけど、同じ立ち位置の95年版のたけしの方が生活者の匂いがしてずっといい。竹中直人たちが演じてるのはかなりタランティーノ的、アメリカン・コミックの匂いのする輩だ。時代ゆえか。

2015年版敵役安藤政信のジュニアぽい弱々しさと虚勢も素晴らしく良くて全体を流れるテーマにきっちり呼応している。あ、そうだ忘れちゃいけないのが、95年版の椎名桔平演じるパンチドランカー。すごいキレと存在感。大層良かった。

兵隊やくざ

 

1965年 増村保造監督。

軍隊ものかーと躊躇する心を見透かしたような戦争や軍隊なんてまっぴらという冒頭の田村高廣のことば。あれでまずひきつけられる。

こんなことあるか?と思うような調子の良い展開もあれど、調子良いところ以外は割合かっちり描いているからこういう話もアリか、おはなしに乗ろうじゃないかと楽しめる。時間も1時間42分とダレない。

とんでもないことを仕出かすけど主人を守るむく犬のような勝新太郎、その暴走を理論武装で援護射撃する指導係の上官、田村高廣。それが依怙贔屓とかイヤな感じにはならず、おかしみに感じるのは田村さんの気品そして勝新の愛嬌ゆえか。「暁の脱走」*1(1950)とかハードな軍隊ものとは作られた年代の差かテイストが随分違うが生きる力に満ちていてなんだかいい。

勝新演じるのは元浪曲をしていた男。ちょっと唸る浪曲がなかなかいい。長唄三味線のおうちに生まれ、本人も長唄の名取だったりするからだろうな。*2慰問で出会うお師匠さんが山茶花究。画面が締まるよいシーンだった。

教授と呼ばれた男

 

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  • ベン・ギャザラ
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vhsでは上下巻。トルナトーレ版ゴッドファーザーとかいわれているが、トルナトーレ監督のデビュー作らしく、前半説明不足の乱闘からはじまってテンポが早すぎ、観ている方はちと置いてけぼりの気持ちにも。もう少し過程を丁寧に描いて観ているものに理解しやすい説明が欲しかった・・ラストまでみてもう一度最初の方をみると、大河ドラマのように最初のほうから出ていたこの人が終盤こうなって、という錦織のような楽しさは味わえた。ちょっと宮藤官九郎作品的な味わい?いやいや、宮藤官九郎のはもっと腑に落ちた時のカタルシスが大きい。この作品はナポリの犯罪組織カモッラを描いたものだけど、リアルにカモッラを描いたものとして話題になった「ゴモラ」という映画のことを2010年にNHK海外ニュースできいて関心をもっていたこと*1を思い出した。12年の年月を経て今、カモッラに近づくことに。ベン・ギャザラ、「チャイニーズ・ブッキーを殺した男」*2で追い詰められている感じがリアルで辛くて好きになったもので今度はキレ者の成功者かーと、そこは嬉しくなった。ちょっと「スカーフェイス」的なところもある作品だ。上り詰めるまではほんとかっこよい。

音楽はイタリアぽい格調高さではじめは悪くなかったのだが、同じ旋律の繰り返しでちょっとなんとかしてほしくなる。トルナトーレはモリコーネとじゃないと、なんて意見もちらっと見たがそういうところあるかもしれない。。

家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった

 

岸田奈美さんのこと全然知らなかったのだけど、若き知人が奈美さんにインタビューの仕事をしたことがきっかけでこのnoteの記事を紹介され本も読みたくなった。

そういえば障害を持つ妹さんのある別の方も奈美さんの文章を読んでわかるというような話をしていた。ちょっとその原文が出てこなくて曖昧なのだけど奈美さんも弟さんのこと「大変でしょう」とかいわれるのとても嫌で強がりとかでなく自慢したい気持ち持っているのにというような話。それとはちょっと違うかもしれないけれど私も脳出血のあと車椅子生活になった母と散歩している時さほど親しいわけでもないひとから「大変ね~」とかはなしかけられるのがとっても嫌だった。しゃべれなくなっても話は理解しているのに。。。施設などでもほんとしゃべれなくなるとそういうことが目の前でたびたび起きて私に同情みたいな口調でもとっても気分が悪くなった。別に自慢の母とかではなく、身勝手ぶりにいつも悩まされていたんだけどこんな言い方ってあるかいなという気持ち。

奈美さんの本を読んでいると当事者しか味わえない思いをもっと表に出していかなきゃなあという気持ちにとてもなった。中途半端な同情、変な色眼鏡でみられることをおそれて家族に起きたことをなかなか詳らかにできないのだけど、ほんとはそれこそが残すべきことでもあるかも、と。奈美さんの、関西人ならではの面白さ、すがすがしさで、家族のピンチをこんなふうにかっこ悪くなく重苦しくなく書けるんだーと。自分もちょっとずつ小出しに書ける時は書こう。

こちらに紹介してある、この本に使われている弟さんのノンブル文字もとてもすてきだったし(さすが祖父江慎!)奈美さんを推している知人のこともさらに良いわ!となったのだった。

浪人街 RONINGAI

 

1957年版の「浪人街」*1マキノ雅弘監督)を観たので忘れないうちに1990年版(黒木和雄監督)も。こちらもマキノ雅弘が総監修したとのことだけど、観る人がわかりやすいような筋にかえられていて(つまりわかりやすすぎて安易になったりしていて)、筋立ては絶対57年版の方が良かった。

田中邦衛演じる仕官を待って兄妹で長屋住まいをしている浪人の暮らしが57年版より詳しくなっている部分はよかったが(鳥の面倒をみて生計をたてる姿が細やか。このエピソードは90年版のオリジナルのように思う。)前回の先祖伝来の刀を巡っての騒動という部分がなくなっており、この因縁の有無が原田芳雄演じる荒巻源内の印象を前作と大きく変えている。そのエピソードゆえに57年版では源内は人でなしって感じなのだけど、90年版は源内に自然と好感を持つように作られている。

樋口可南子演じる源内の情婦お新も57年版のスリから、女郎に。原田芳雄樋口可南子のスター扱いをみる感じの映画に。

石橋蓮司演じる母衣権兵衛がなかなかかっこいいのだけど、彼とお新の関係も57年版の方がずっと秘めたる思いがあってその分のエネルギーがもうたまらなく良かったし、母衣のかっこよさがさらなるものだったのに、それにくらべると母衣の価値が下がるような描写。原田と樋口の映画になってしまっている。

見知った顔が出てくる楽しさはあり、親しみやすさはあった。そして、天本英世演じる琵琶法師のシーンなどは美しい映像とともにこの世に起きることどものはかなさを感じさせ効果的だった。宮川一夫氏が特別協力として名前が出ているけれどどういう形の協力だったのかな・・

勝新太郎演じる赤牛弥五右衛門も、この作品勝さんの遺作だったらしく、ちょっといつもの力ができってないような印象も。声などが残念ながら弱弱しかった。赤牛弥五右衛門のくだりも前述の刀の話がないからかなり筋がかわっていて、元の方が面白かった。女郎に文字を教えてやるというエピソードなどは多分90年版のみでこういうシーンは良かったが。

全体的に90年代のお客が咀嚼しやすいように作り変えてある印象が強かった。

屋台の主人役の長門裕之は、マキノファミリー登場!という感じで嬉しかった。勝新太郎との関西談義の味わい。(勝さんは千葉県出身らしいが、赤牛弥五右衛門は関西の色の濃い人物であった。)