(500)日のサマー

みているとき、なんだかドラマで観た「逃げ恥」的な新しいものを感じた。恋愛を素材にしているけれど語っていることは恋愛に限らないような、でもやはり恋愛だからこそはっきり感じられるうまくいかない苦しさとそこからどうするかの物語。「逃げ恥」的なものを感じたのは、旧来多く描かれてきた悲劇とは逆のアプローチで描かれているところ。(これが男女逆だったら昔からよくあるヒドい話になりかねなく、なにかラストも違う風に感じてしまったかもしれない。これは、女性コメディアンは難しいという感覚と似ているのか・・・男なら笑う対象に容易にさらっとできるところが、女の場合はなにかイタさを感じたり入り込めなかったりする感じとどこか結びついているような)また、周りの人間の描き方にもいまの空気を感じた。ひきたて役なんかいなくて、みんなそれぞれの人生を生きていてなかなか魅力的。特に妹は守護天使のようで、大いに救いになっている。守護天使という、宗教的な言葉で思い出したのは、「第七の封印」*1のパロディーシーン。また、映画「卒業」が、ベースになってさらなる感慨に観客を誘うのだけど作り手が旧作を愛し、それを栄養に物語を紡いでいるようにも感じられる。
主人公がグリィーテイング・カードの会社に勤めているという設定も人の心に触れるツールというところがなかなかよいし、細かいやりとりが微笑を誘う。
絵日記のように日にちを追う描き方もしゃれた感じだし、時系列がまぜてあって、「いつも二人で」風にこんな二人がこうなってという感じもおもしろい。
主人公が歓喜に打ち震え、町中の人と踊るシーンがあるが、ちょうど先日BSの「昭和は輝いていた」というテレビ番組の映画音楽特集で、佐藤利明という娯楽映画研究家の方が「東京ラプソディー」と「ラ・ラ・ランド」に共通の先祖としての「今晩は愛して頂戴ナ」という映画のことを話されていたのを思い出した。*2

*1:http://d.hatena.ne.jp/ponyman/20100919/1284860428

*2:明大マンドリンクラブをつくられ、スパニッシュギター アンドレス・セゴビアの影響を受け、(映画の中にはやり歌をいれるという)アメリカの作曲家のしてきたことを日本人としてはじめてした古賀政男というような話の流れ